いつもコラム記事を読んでくださっているみなさま、こんにちは!エコスタッフ・ジャパン株式会社(ESJ)の石中です。
普段はこのコラムでは、主に「産業廃棄物に関する基礎知識」や「環境に関する時事ニュース」について取り上げて解説しております。
前回のインタビュー記事はこちら→代表『田部和生』インタビュー 第1弾!「ESJとの出会い」
今回は当社の代表、田部和生にインタビューを行いまして、ESJのこれまでの成り立ち、設立後約20年の静脈業界の変化やESJの歩み、また田部自身の経歴について深く掘り下げていきます。
第2弾は「静脈業界の変化」と題し、これまでの静脈業界の変遷について様々なトピックで質問しました。
質問)ESJが19期目を迎えましたが、この約20年近い月日の中で、静脈業界も色々と変化を遂げてきたかと思います。特に印象深い出来事はありましたでしょうか?
田部)はい、ESJネットワークで言うと一番印象深いのは災害時の連携ですね。東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨などで様々な支援が広がり、遠方の仲間同士の本当の意味での繋がりを感じました。2013年には業界初となった全国でのBCP協定もできました。非常時にこそネットワークは本当の価値を発揮します。民間の火災事故対応の際には当社社員も半年以上現場に常駐させて頂き、その力を体感しました。創業から「顔が見える」ネットワークづくりを心掛けてきましたが、「想い」も入ったものになっている、と感じたものです。これらは災害を通じて見えたことで、大変印象深いです。
その他では、現場向け研修会は当社事業の一つですが(年4回開催)、中でもドライバー担当者同士の研修会は印象に残るものです。ドライバーさんは現場を離れるのが難しく、全国の同業他社での交流は本当に難しいのですが、当社では2008年から毎年続けています。その内容や盛り上がりは多くの方々に見て頂きたいと思っているくらいです。「こんな熱い場所、なかなかないよ!」という感想も頂きます(笑)。もちろん参加者から頂く声は時に厳しいものもありますが、多くは感謝の言葉です。やりがいを感じると同時に、これからも継続して行かねばと、気が引き締まる思いを毎回抱いています。
質問)ここまで長く続いてきたネットワークの歴史は素晴らしいですね。さて、国に対して目を向けると、各個別リサイクル法(以下、個別法)の施行などは業界を大きく変えたかと思いますが、どういった感想をお持ちでしょうか?また、実際に認定企業や排出事業者から相談のあった内容はどんなものがありましたか?
田部)そうですね。個別法が施行された頃は処分場逼迫が一番の課題でした。もちろん今も同じ課題はありますが、当時ほどの切迫感は伝わってきません。結果として上手くいったのだと思います。「個別法同士の横連携が弱い」とも言われますが、その果たした役割や実施・管理体制は世界でも突出していると思います。容器包装、家電、自動車・・・。世界を見渡すと、法があっても知られていない、守られていない国もある中で、その徹底度合やデータの正確性は誇れるものだと思います。むしろ細かすぎるくらいかもしれません(笑)。今リサイクル関連のデータは脱炭素や循環経済など国の政策にも直結しますので、そのデータの意味合いや規格に関する主導権争いが起きているようにも感じています。
ちなみに、これまで当社が認定企業さんから頂いた相談は本当に幅広く、簡単には解決できないものが多かったですね。簡単なものは自社で解決できるので、我々は困った時の「駆け込み寺」のような存在でありたいと思っています。そして難しくてもきちんと対応していけば、それがノウハウになります。いっぽう排出事業者さんからのご相談は、全国区で「安心できる企業に処理を委託したい」という声がやはり多いです。教育研修など優良ネットワークに対するニーズはもちろん高いのですが、潜在的なものです。なので、我々はその「安心とは何か」を追求しながらも、同時に「見える形」でサービスにしていかないといけません。また、そもそも業界で「全国標準」がこれまでありませんでしたので、私たち自身のPRもしっかりやらないといけない、とも思っています。
質問)続いては国の制度面のお話についてお聞きしたいと思います。日本は産業廃棄物と一般廃棄物の分類が明確で詳細な法規定もありますが、このあたりはどうご認識されていますか?
田部)はい。海外視察あるあるですが(笑)、合理化の必要性を感じたこともありましたが、今は以前ほど感じていないのが率直な意見です。廃棄物処理は各国、各地それぞれ複雑な事情が絡み合って成り立っています。日本は島国であり、公害や法律の制定を経て世界一衛生的とも言われる環境を創り上げました。また江戸時代は世界一の循環型社会だった、と聞いたこともあります。そしてリサイクルの入り口は廃棄物処理です。コロナの時に流行った言葉ですが、廃棄物処理は「エッセンシャル」(不可欠)なものであり、またそのサービスは全国どこでも、持続的である必要があります。ユニバーサルサービスが成立していることは大前提として、とても大事だと思います。
そんな中で今後、業界の大きな流れとして、時間が経つごとに人や事業者の数が減り、「勝ち組」と言われるプレーヤーがより強くなるのでは、と感じています。ただ会社の姿形は変わっても、現場の重要性は変わりません。人に対する教育や安全性、また生産性の向上は今以上に重要性を増すと思います。
質問)日本だからこその良さもあり、むしろその面においては非常に恵まれた国であるとも言えますね。制度に焦点を当てると、「優良産廃処理業者認定制度」についてはどう評価していますか?
田部)そうですね。制度開始当初はいろいろな議論がありましたが、今は時間も経ち必須となっているのではないでしょうか。ISOやEA(エコアクション)も同様でしたが、今やビジネス取引上のパスポートとも言えるでしょう。当社が国の基準に沿い、上乗せした形で基準を創ったことは正解だったと思います。ただ、行政の「許可」に「優良」を加えること自体がおかしいのでは、という意見もあります。それに、本当に「いい会社かどうか」は実際のその会社と取引しなければわからないと思います。制度では見えない部分、たとえば対応のスピードや丁寧さなどですが、そういった点は当社自身が常に確認し、またお伝えしていくのも役割だと考えています。国の言う「優良」のさらに上を目指すのが当社、ということだと思います。簡単なことではないですが。
質問)罰則の厳罰化について、現在は排出事業者責任がより意識される時代になったと言われますが印象はいかがでしょうか。
田部)それはあると思います。この処理業界は「許可業」ですので、まっとうな処理事業者からすると、違反=会社の存続リスクそのもの、となります。廃掃法も処理事業者向けの罰則が強かったのですが、今は排出事業者向けにも強化されてきています。排出者責任や意識向上を求める声は以前からありますが、ただ廃掃法を排出事業者の新任担当者がスピード感もって理解、運用できるかと言われれば、それは簡単ではないと思うのです。だからこそ、「難しい部分をわかり易く」という機能を当社が果たして、寄り添う形で排出事業者の方々のサポートができればと思っています。
質問)処理事業者における企業としての変化や、女性の活躍といった働く方々の変化についてもご意見をいただけますか?
田部)はい。長く業界にいると変化に気づきにくくもなりますが、創業初期に感じた「真面目で実直な方が多い業界」という印象は今も変わっていないですね。ESJ認定企業のような優良事業者では特にそれを感じることが多いです。いわゆる「環境ブーム」で若い人や女性が増えたのは、当社を設立した頃が「第1期」だと思います。当時新卒として入ってきた方々が、現在ではマネージャークラスに成長されており、認定企業にもそういった方々が多くいらっしゃいます。その方たちを見て、憧れて、また若い人たちが入ってくるという循環は素晴らしいと思います。世代が変わると業界が変わると言いますが、そのサイクルは20-30年くらい。当社も今年で19期目です。人が変わり、現場が変わり、そして業界が変わる。今はその途上にあるのではないでしょうか。ちなみにこの業界は家族経営の企業は今でも多いのですが、新しい形として持株会社制や上場なども出てきています。M&Aも増えてきており、業者間だけでなく国内外の大手ファンドなど、プレーヤーの質や規模が変わってきています。当業界に対する注目度がいっそう高まっていると感じます。
さて、今回の代表インタビューはここまでとなります!最後までご覧いただきありがとうございました。
今回は静脈業界の変化についてお送りしました。次回は、「エコスタッフ・ジャパン」について、今一度弊社のこれまでの歴史や事業内容について振り返ります。第3弾もお楽しみに!当社を知って頂くきっかけとなりましたら幸いです。
次回の投稿も是非ご覧いただけますと嬉しいです!